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青木保『日本文化論の変容』の視点から見る日本劣化のプロセス(5)

1970年代は、「日本文化論」が大衆の流行語にさえなるほど日本に出回った時代である。「タテ社会」「甘えの構造」「間人主義」などのことばがマスコミをにぎわし、日本人や日本文化の「独自性」と「卓越性」を示すものとして使用された。その一方で、外国からは、日本人は「エコノミック・アニマル」とか「働き蜂」などと呼ばれるようになった。

1979年には、村上泰亮公文俊平佐藤誠三郎の共同研究である『文明としてのイエ社会』が出版され、同じ1979年にはアメリカでもエズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版された。

『文明としてのイエ社会』(1979)は、日本近代化の特性を解明する共同研究であるが、この著書の基本には、やはりルース・ベネディクトの提出した日本人の「集団主義」と「恥の文化」が大きなテーマとして存在している。『文明としてのイエ社会』は、「この本では『個人主義(individualism) とその対概念としての集団主義 (collectivism) の問題を第一のテーマとする」と述べる。「ただし、『個人主義集団主義』という概念自体、実は満足すべきではない」と言い、それは「この対比が既に欧米型近代化にとらわれた考え方であり表現」であるからだとする。そして、「集団主義」という言い方についても、「われわれはむしろ『間柄主義』という表現を使いたい」という。この「間柄主義」は、木村敏や濱口恵俊のいう「間人主義」に相応する。「たしかに近代化・産業化の始動にあたって、個人主義的な欧米の文化が決定的な役割を果たし、最近数百年の人類史の主要な発展に寄与したことは事実である。しかし、『つぎの先進段階はそれまでのものとは別の系統からはじまる』とすれば、今後の発展の可能性を探るにあたって、欧米型の個人主義的文化にとらわれることなく、さまざまの他の可能性をも考慮しなければならない」ということである。

近代化そして産業化の再検討をするに当たって、『文明としてのイエ社会』の著者たちは、「人類史の視点」「産業社会の視点」「近代化日本の視点」という三つの面から追及する。そして、「近代化とは産業社会の形成過程をさす」といい、「産業化に不可分な社会システム」として、1.高度の配分システム、2.政治的統一と近代的官僚制、3.教育と学術の制度化、4.企業体、5.職場と家庭の分離をあげ、「産業化に必要な価値観」として、「個人主義」の価値観は一般的には不可欠ではない、と論じ、ある種の「集団主義」は「個人主義」よりもむしろ適合的であると結論づける。著者たちは、こうあした「産業化」の帰結として、1.個別化、2.国民国家化、3.即自化、が起こると述べる。

村上泰亮公文俊平佐藤誠三郎によれば、「近代化=産業化」を日本が達成できたのは、「イエ型組織原則」の柔軟な適応力によるものであり、とくに企業などの「中間集団」レベルにおいては、「イエ型組織原則」が有効に働いたという。著者たちは、近代化・産業化の始動にあたって、個人主義的な欧米の文化が決定的な役割を果たしたことは事実だが、しかし次の先進段階に進むには、「間柄主義」を完全に否定することはできないと主張する。村上・公文・佐藤らは、ある種の集団主義 (collectivism) は「個人主義(individualism) よりも近代化に適合的であるとする。『文明としてのイエ社会』は、律令制国家出現以後の「発展」を、「日本史の二つのサイクル」として、「ウジ社会」と「イエ社会」という社会タイプに分類し、「ウジ社会」は「律令制」で頂点に達し、荘園・公領化体制の消滅とともに姿を消すが、その後、11世紀頃から「イエ社会」が日本社会の中核となって展開した。「ウジ社会」は、中国の高度な農耕文明で育まれ、その後日本へ移入された社会システムであり、「イエ社会」は、辺境の農耕文明型発展の日本版であると捉えた。

しかし、この壮大な「日本近代化」論には、1970年代に明らかとなった、経済の高度成長による「近代化大国日本」への達成度に含まれる「欧米」先進国以上の「発展」可能性を認めるところから展望する視点が色濃く出ている。その成功の「自信」の上に立って、「日本近代化」が評価されており、「集団主義」と「近代化ー産業化」が両立するだけでなく、今後の世界においてはむしろ優位に働くと説くような論旨の展開になってゆく。

著者たちによれば、今後の社会発展にとって必要な新しいシステムないし方式は、「純粋に個人主義的でもなく純粋に集団主義的でもないある種の複合型」とならざるをえない。そのような「複合型」に進むに当たって、「日本社会は欧米諸社会よりもあるいは有利な立場にあるかもしれない」と指摘するのである。

このように、村上泰亮公文俊平佐藤誠三郎の『文明としてのイエ社会』は、、近代日本の建設を西欧化ー近代化でない、別の形での一つの達成として「日本文化」の「肯定的特殊性」の総括を行っているとみることができる。日本に「特有化」した「イエ型組織原理」とそれに従属した「ムラ型」社会関係が、「集団ー間柄主義」下において、この達成をなしとげたのであり、それは大きな可能性を秘めている。川島武宣の「日本社会の家族的構成」が示した「反民主的」「反近代的」な日本社会の位置づけは、ここに逆転して、今後の社会進展のための「より大きい」可能性をもつ「社会原理」として評価されることになった。

エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979)は、日本の「成功」の鍵を解き明かして、アメリカの読者の参考にするという目的で企てられた「日本文化論」であり、日本の制度のすぐれた点を明らかにしようと試みている。ヴォーゲルによれば、日本の制度がアメリカにとって鏡となると考えられる点は四つある。

1.日本がすべての制度を合理的判断に基づいて築きあげたという特徴は、西欧諸国にはみられないものである。日本は過去百十年間に二度も大規模な制度の見直し、改革を行い、欧米の諸制度の良い面を取り入れて合理化してきたのに反し、アメリカでは二百年前とあまり変わらない制度が存続している。

2.民主主義先進工業諸国の中で、日本は唯一の非西欧国であるという特徴をもつ。日本は、自らの伝統を基礎として、そのうえで創造性を発揮し、さまざまなヨーロッパの制度をまったく新しい形で採用した。これは日本独自の発展であり、他のどこの国とも異なるアメリカにとってもっとも対照的な国である。

3.今日のアメリカの政治・経済・通商などの困難な問題に対して、日本はずっと以前から取り組んできた。人口密度から自然資源や国際環境などアメリカと著しく環境を異にする日本の問題解決の仕方とその成功は、アメリカにとっても大きな参考となる。

4.日本の諸制度は大成功をおさめている。経済だけでなく、政治・社会面においても、日本の制度はきわめてうまく機能している。

エズラ・ヴォーゲルが「ナンバーワンとしての日本」のすぐれた面として挙げているのは、そのほとんどがこの時代の「日本文化論」で肯定的に評価されてきた事柄である。そこでは、「集団主義」と「恥の文化」の肯定的で積極的な作用が、教育効果、コンセンサス(合意)の作り方、政府の実力主義と民間の自主性、総合利益と公正な分配を支える集団力学、企業における社員の一体感とグループ精神、防犯システムの効用などを例に挙げて論じられている。

 ヴォーゲルの論点は、それまでの「日本文化論」が「欧米」モデルを基準として、欧米モデルとの対比によって「自己認識」を行ってきたことの「裏返し」とみることもできる。いわば、エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979)は、この時代の「肯定的特殊性の認識」を、アメリカからみて「保証」するような役割を果たした。1970年代末の時点において、ヴォーゲルの「日本論」は、日本人の多くが待ち望んでいた「ナンバー・ワンとしての日本」というアメリカ側からの託宣であった。

エズラ・ヴォーゲルは『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の中で、日本における「集団主義」と「恥の文化」の作用を肯定的に評価した。ヴォーゲルは、日本は自らの伝統を基礎として、その上で創造性を発揮し、ヨーロッパのさまざまな制度を全く新しい形で、しかも合理的判断に基づいて採用したと論じ、「日本的経営」を賛美した。

ヴォーゲルの著作は圧倒的に日本人に迎えられ、アメリカ社会よりも優れた「社会性」を示す日本という点が強調された。「日本的経営」は「イエ原則を機能的に純化したもの」とされるが、「階級制の滲出化」と「根まわし型満場一致」という集団運営上の工夫を特徴としている。

 戦後に現れた日本文化論の第3期には、「日本的経営」の賛美が頂点に達し、「集団主義」と「恥の文化」というルース・ベネディクト以来の「日本文化論」の二大テーマが「肯定的」に評価された。第3期の「日本文化論」では概ね、日本が成功した理由が説明され、近代化した大国である日本が欧米先進国以上の発展可能性を秘めているとする「ナルシシズム」が見られた。第三期には、「日本文化の特殊性」を肯定的に評価し、日本文化や日本社会の優秀性を謳歌する「日本文化論」が多く現れ、「日本文化論」の黄金時代ともいうべき状況が生まれた。