Dances with Seals

いろいろなことを書いていきたいと思います

青木保『日本文化論の変容』の視点からみる日本劣化のプロセス (1)

「日本文化論」の内容から見た戦後日本の思想史

青木保『「日本文化論」の変容 ―― 戦後日本の文化とアイデンティティ ――』(1990年、中央公論社)は、日本文化論の内容を分析することから見た戦後日本の思想史であり、今日の視点から見ると、とくに1980年代に現れてきたジャパンバッシング(日本叩き)の考え方をうまくまとめている。

わたしの問題意識はシンプルだ。いつごろから日本はかくも劣化してしまったのか。この問題を、青木保『「日本文化論」の変容を読むことを通じて考えていきたい。

青木保はまず出発点としてルース・ベネディクトの『菊と刀』を取り上げるが、これについては当面の問題意識とあまり接点がないので、別の機会にとりあげることとして、『菊と刀』以降の「日本文化論」のまとめ方を青木に従ってみていくことにする。

青木は、この本の中で戦後に現れた「日本文化論」の内容変化を次の四つの時期に分けて捉える。

第一期 「否定的特殊性の認識」 (1945~1954) (昭和20年~29年)

第二期 「歴史的相対性の認識」 (1955~1963) (昭和30年~38年)

第三期 「肯定的特殊性の認識」前期(1964~1976)(昭和39年~51年)

               後期(1977~1983)(昭和52年~58年)

第四期 「特殊性から普遍性へ」(1984~)(昭和59年)→1990(平成2年)

 

1990年(平成2年)はこの『日本文化論の変容』が出版された年なので、青木の分析は1990年で終わっている。この分析を続けるならば、現在は少なくとも第五期以降ということになるであろう。

1991年~2020年のこの時期を青木は何と名づけるだろうか。あるいはコロナ以前を第五期、コロナ以後を第六期に分けなくてはいけなくなるかもしれない。

わたしは、1991年以降の時期を、日本劣化の時代、もしくはグローバリズムの時代と呼びたいと考えているが、その点については、青木の著作を読み終えてからじっくり考えたい。 

第三期(1964年~1983年)から日本人のナショナリズムが明確に顕在化してくる。だから、第三期以降の分析が重要になるが、それに先立ち、青木が分類する四つの時期を個別に詳しく見ていこう。

 

1 「否定的特殊性の認識」の時期(1945~1954)(昭和20年~29年)

 

1946年(昭和21年)に、坂口安吾の『堕落論』ときだみのるの『気違い部落周游紀行』という二つの書が公刊された。この二つの書はどちらも、軍国日本に酔い、皇国日本に鼓舞された社会の「変化」に対する鋭い批判精神が込められていた。

「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ …… 人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎ出さずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚もつかない物である。

坂口安吾堕落論』1946年初出)

ここで坂口安吾が「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」と言っているのは、まさに今の日本人にも当てはまるように思えてならない。コロナウイルスに端を発した混乱のなかで、日本は未曽有の危機的局面を迎えた。今からは日本人の一人ひとりが「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならな」くなると思われるからだ。

坂口安吾の『堕落論』と同じ1946年(昭和21年)に発表された、きだみのるの『気違い部落周游紀行』の中で、「気違い部落」の住民は、体制にとらわれない原日本人(プロトジャパニーズ)の自由さを表現しており、きだはそれを「日本人以前的」と呼び、「日本人以前的であるということこそ、もしそれが動物的にまで烈しい生活への意欲ということを指すなら、今日の日本にとっては何よりものことではないか。」と登場人物に言わせている。

ここで、きだみのるが「日本人以前的」というのも、坂口安吾の「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」という言葉と同じような感覚を表現しているといえるだろう。青木保によれば、戦前の皇国日本に鼓舞された社会があっという間に「変化」したことに対する鋭い批判精神が、この二つの論考にはみられるが、その基本にあるのは新しい日本の出発を、以前のようにならないようにとの強い期待をこめて、願う気持ちであった。坂口やきだにとって、新しい日本は、「堕ちる道を堕ちきることによって」または「日本人以前的」になることによってしか見い出されてはいけないものである。この気持ちは、現代を生きる日本人にも響くものがある。「堕ちる道を堕ちきることによって」、あるいは「日本人以前的」になることによって、本当の自分自身を発見し、救わねばならないということである。

きだみのるの言う「日本人以前」、坂口の言う「堕ちきること」は、ともに「旧い日本」を否定して「新しい日本」に生れ変ることの本質を示すことばである。この時期、「民主主義国」へ再生するために、戦前の日本社会の基本的枠組を批判的にとらえる論調が、支配的であった。「戦後日本」は何よりも「民主主義日本」であらねばならないし、「前近代的、封建的」な「遺制」を取り払って、合理的な社会を創らねばならない。日本社会の特殊性は徹底的に否定される必要がある。こうした観点から、この時期をもっとも鋭く代表するのは、法社会学川島武宣による日本社会の批判的分析や政治学丸山真男の日本ファシズム批判であった。

今後の日本では、これと同じような流れが起きるのではないだろうか。現代の視点からみると、戦後すぐに現れた議論が現代の日本にも当てはまることに驚かされる。

たとえば、川島武宣は、1948年に次のように述べている。

「日本の社会は、家族および家族的結合から成りたっており、そこで支配する家族的原理は民主主義の原理とは対立的のものである。家族的原理は、民主主義の原理とはカテゴリーをことにするのであり、『長をとり短をすてる』というような生やさしいことで、われわれの家族生活および社会生活の民主化をなしとげ得るものでは決してないのである。まさにこの家族的原理こそ、われわれの社会生活の民主化を今なお強力にはばんでいるものであり、これの『否定』なくしては、われわれは民主化をなしとげ得ない。」

川島武宣「日本社会の家族的構成」1948年初出)

このように川島は、家族的原理の『否定』なくしては、われわれは民主化をなしとげ得ないと述べている。川島がここでいう「否定すべき家族的原理」とは、次の4点を指す。

  1. 「権威」による支配と権威への無条件的服従
  2. 個人的行動の欠如とそれに由来するところの個人的責任感の欠如。
  3. 一切の自主的な批判を許さぬ社会規範。
  4. 親分子分的結合の家族的雰囲気とその外部に対する敵対的意識との対立。「セクショナリズム

川島武宣は以上の四点を日本の「家族的構成」原理の主要特徴とし、それを「非近代的な家族原理」とよぶ。そして、その「否定」によるしか日本の民主主義化は実現せず、「自発的な人格の相互尊重という民主主義的倫理の上においてはじめて、真に深い人間愛に結びつけられた家族生活・社会生活の精神的結合が可能となるのである」といって、「民主主義革命は、われわれの精神における『否定』、精神的内面的な『革命』を絶対的に要求する。だから、われわれにとっての家族制度の問題は、またかような点に、すなわち非近代的な家族意識の『否定』にあるのである」と結ぶ。

青木保によれば、この時期における日本社会の位置づけは、その「否定的特殊性」を主張するものに他ならず、その主張には二つの立場があった。

第一は、マルクス主義的な発展段階による日本社会の位置づけであり、これは日本社会をブルジョワ革命以前の前近代的段階にあるとする見方であり、川島の主張にもみえているように日本的社会関係・人間関係の基本を「非近代的」な「反民主主義」的なものととらえる。

第二は、「近代化論」からとらえるものであり、これは西欧に発達した近代合理主義を評価の標準にすえて日本社会をみる。この立場からも「欧米」の近代合理主義に対して、日本の「非合理主義」が批判され、日本社会を市民社会と民主主義の未発達な「前近代社会」であると考える。この見方は、日本型「資本主義」のとらえ方について、たとえば大塚久雄が1947年に「日本の資本主義の発達は、こういう風に西洋のものと非常に違った他律的のもので、だからアンシァン・レジームと絡み合っていたのであり、封建的なものと近代的なものとが一緒に顔を出して行くという一見不思議な現象になって来たのです」と述べているように、「資本主義」の「経済合理性」を内面的に達成する「精神」が欠けていたことになる。

こうした「近代主義」からの日本批判は桑原武夫にも見られる。桑原武夫は、『現代日本文化の反省』1947(昭和22年)と『第二芸術論』1947(昭和22年)の中で、近代主義の視点から、近代性を大きく欠く「日本文化」と、日本で「私小説」しか生まれないことを批判した。

マルクス主義」と「近代化論」とはたがいに対立する面が基本的なレベルで存在するが、「前近代的」「非合理的」「反民主主義的」といった概念で日本社会をとらえるかぎりにおいて、両者の立場は「一致」する。いずれの見方も、戦前戦中の日本における「皇国史観」の天皇制と軍部独裁をゆるした理由を、封建的社会関係と日本社会の前近代性と非合理主義に求め、それらを「否定」して、あらためて近代民主主義国家として出発しなければならないと主張する。この場合、日本の仰ぐべきモデルは、欧米社会であって、マルクス主義者も近代主義者も、近代化ー民主化を共通の旗印に掲げて、日本社会の「後進性」を批判している。

欧米の社会関係と文化は「先進モデル」であり、新生日本の従うべき目標とされた。西欧=アメリカ社会の達成した「近代化」と「民主化」のモデルとの対比によって、日本社会とその文化の位置づけを行うという日本の「知識人」が行ってきた「明治以来」の世界における「日本の位置づけ」の仕方は戦後日本で再び強調され、「大和民族」を世界の最優秀民族として頂点にすえ、「鬼畜米英」を劣位ときめつける戦中の「世界観」はまた逆転して、日本社会の「否定的ー劣位」の「特殊性」の認識へと駆り立てたのである

このように、青木保によれば、この1945年~1954年(昭和20年~29年)の時期に現れた「日本文化論」には、「古い日本」を支配していた「システム」の否定、日本の「前近代性」の否定、日本の「特殊性」の否定という特徴が見られる。それゆえ、このような「日本文化論」が現れた時期を「否定的特殊性の認識」の時期と呼ぶことができるという。

青木保による「否定的特殊性の認識の時期」という命名は的確である。まさに昭和20年から昭和29年の間、日本人はとても謙虚になって、日本の特殊性をネガティヴなものとして認識し、「delay」の意識、つまり「日本は遅れている」という意識を持って、日本の復興に懸命になっていた。この時期は日本の知識人がナショナリズムを否定的に見ていた時期であった。今の日本もよく似た状況にあると思う。今の日本は、欧米だけでなく、シンガポール、韓国、台湾、香港、インド、そして中国にも後れをとっている。しかし、それに気がつこうとしていないように見える。今の日本は、IT革命への出遅れ、英語力の弱さ、政治家の知性の弱さ、反主知主義の蔓延、復古主義の興隆、ネット右翼の跋扈、そして、アメリカの一流大学で学んでいるエリートが少なく、洗練された国際感覚や最先端の知識や技術を身に着けていないこと、などの点で大きく劣っている。ちなみに、台湾の蔡英文総統はイギリスのロンドン・スクール・オヴ・エコノミックスで法学博士をとっており、韓国のカン・ギョンファ外相はMITでコミュニケーション学科博士を取っている。日本の政界には、これほど国際的な respectability と国際的なコミュニケーション能力を備えている知識人はいない。一般国民の民度という点でも日本は劣化していると思う。日本は「遅れている」という事実を直視して、なんとか欧米や他のアジア諸国から学べるところは謙虚に学び、面子をかなぐり捨ててキャッチアップするぞという「日本の特殊性の否定」から始めなければ、今の劣化した状態から再生することは容易ではないと思われる。

しかし、注目したいのは、青木保のいう「否定的特殊性の認識」の時期、すなわち、昭和20年から昭和29年の間、日本の知識人たちは謙虚に日本の特殊性が欧米の「近代化」と「民主主義」に負けていることを反省していたということである。社会は貧しかったかもしれないが、日本人の間には謙虚な「向上心」があった。この「否定的特殊性の認識」の時期の日本人が劣化していたとはまったく思えないのである。

(つづく)

 

このブログの設定がうまくできない。なぜだか分からないが、Google Search Console にアクセスしようとすると、Google アカウントを入力する段階で拒絶されてしまう。組織が運営するアカウントだから、アクセス権がないという。別の個人用の Google アカウントを作り直しても、結果は同じだ。結局、三つもGOOGLEアカウントを作ってしまったが、Google Search Console にはアクセスできない。パソコンに詳しくないから、原因はまったく分からない。ブログ初心者がいきなり難しいことから始めたのがいけなかったようだ。お手上げだ。ともかく誰かに読まれることを意識せず、文字を書けばいいんだろう、ぐらいの心持で書いてみた。しかし、ブログを続ける意欲が大きく削がれてしまったことは間違いない。